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2017.03.11あれから6年3.11をふりかえり

カテゴリ:日々の出来事

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おはようございます。

今朝の青森市の朝の24時間の降雪量は6cmでした。
春の便りが急に遅くなって焦らされているような
感じです。

今日から天気は回復してくる予報です。
やっとスッキリした青空が数日中には見れるかな^^

さて、今日のブログは急遽テーマを変更してお伝えします。
テレビや新聞またはラジオなどで今日と明日はみなさん
耳にしたり目にしたりすると思いますが死者・行方不明者を
合わせると1万8.500人もの尊い犠牲がはらわれました。
忌まわしい東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生した日です。

この地震は、2011.3.11日14時46分18秒と言われています。
この14時46分に男鹿半島の東南東約130km仙台の
東方沖70kmの三陸沖で発生しました。

この地震は、太平洋プレートと北アメリカプレートの境界線におきた
海溝型地震です。
震源地は、非常に広い地域でおこり岩手県沖から関東の茨城県沖まで
続きプレートがずれた幅は約200kmで長さ約500kmでした。
地震の規模を示すマグニチュ―ドは9.0と日本観測史上最も大きな
地震で世界で見ても史上4番目に大きな巨大地震でした。

地震だけの発生であれば命を奪われた方もここまではひどくは
ならなかったのではないだろうかと後から思えばそう考えています。

この地震の発生に伴い津波が発生して岩手県南部の海岸線をはじめ
宮城県、福島県などの海岸線に8mとも9mの津波が家をのみ込んで
街も人ものみこみました。

また、津波の影響により福島県にあった東京電力が所有する
原子力発電所の電力を失い臨界事故がおきて福島県浜通り
福島第一発電所近郊のおよそ10万人の方達に家や故郷を
失うという二次災害でも多くの人達の心に傷を負わせた。
本当に天災は怖いと我々日本人が教えられた地震でもありました。

あれから6年、

犠牲にあわれた1万8.500人の方のご冥福を祈り




 

あの日

私達は、現在のつがる市柏にある
モコさんのリサイクルショップが当時はあったのです。

前の年の11月下旬にショップをオープンして
少しづつお客様も増えてきてこんな所にリサイクル
ショップがあったんだ~な~んて言うお客さんが店内を
ぐる~と見てくれたり、農家だから野良着を洗う
二層式の洗濯機を探していたんだ~!!と言い
洗濯機だけ2つもお買上げ頂くお客様やディスプレー用に
おいたテーブルがお気に召したお客様が売り物ではない
棚を売ってくれ~と言うお客さんなど結構お客さんに
受けていたと思う。

あの日、ショップの棚に出す前に動作確認をしていた
ホームペーカリ―を実際にパンを焼いている時でした。

14時46分18秒店にいた私達に突如、大きな揺れが
襲いました。

私と副社長は、店内の棚を抑えに走りました。
長い揺れが続き店舗の床が波打つのがよ~くわかり
2人とも長い揺れで船酔いの感覚を覚えました。

その時でした、商品の時を刻まない柱時計が落ちて
ぼ~んぼ~んと二回音が鳴り直った~と妻と顔を見合わせ
笑った事を今でも思いだします。

丁度地震の揺れがおさまった頃でした。
当時、努めていたスタッフの子が帰社してきて
あたりの信号が停電で消え交通がめちゃめちゃだと
教えてくれました。
そこで私達は、我に帰り店舗の照明が消えていたのに
気が付きました。

停電していたのでテレビは見れずラジオを付けると
青森だけの地震では無く東北一円に地震が起きた事を
伝えていました。

店の前の道も大混乱になっていたのでスタッフと私達は
店にいて少し様子を伺っていました。
1時間ほど店にいても電気が復旧しいません。
これはとんでもない被害が大きいぞと思いスタッフが持っていた
携帯がテレビが見れる携帯だったのでテレビをみんなで小さな
画面をみんなで見た時、私は唖然としました。

私は天災映画やパニック映画が大好きでよく見るのですが
携帯の小さな画面流されていたライブ映像はまさに
映画そのものと勘違いしてしまうほどの映像が流されていました。

後から分かったことなのですが、八戸の港を津波がのみ込んでいた
映像だたと言います。

その時でした。
店に数人の男性が入って来て石油ストーブを売ってほしいと
その時、店に陳列していた8台の反射式ストーブすべて買って行きました。
分けを聞くと老人ホームの職員らしくこの停電で暖房が使えず
ホーム内が冷えてきて何時、電気が開通するか分から無いので
職員の一人がここにショップがある事を思いだし買に来たと
教えてくれました。

私は、はっとして、よ~し!!
ストーブが必要になる!!
今日は家族や家が心配だから早く帰って明日朝早くから
店を開けてストーブを掃除して売ろう!!と思い
倉庫から石油ストーブ2台車に積みスタッフ達にも
ストーブを持たせて早めに会りました。

帰り道、交差点はわがもの顔で一時停止もせずに
猛スピードで走りすぎる車ばかりだろうな~と
思っていたが案外冷静な車が多かった事を今でも
覚えています。

信号が無い分、通常より20分近くも早く家に着き
年老いた母と娘達が寄り添いニコニコしながら私達の
帰りを待っていた。
家は無事でタンスや食器棚も被害もなく安心しました。
電気もなくロウソクとストーブの明かりで夜を迎え
今思えば震災ではありましたが家族の絆がより一層深まった
ような気がします。

翌日、朝5時に家をでて、ショップにつきショップの
窓に手書きで石油ストーブあります!!と
コピー用紙に大きな字で書いと指示して倉庫から沢山の
石油ストーブを店内に運んでいました。

倉庫には約200台近く石油ストーブを在庫出もっていたのです。
何でそんなに在庫持っていたのか?ってですか^^
私共モコは当初は遺品整理を目的で作った会社ではありません。
当初は中古家電を買取り海外に輸出する事を目的とした業務内容の
会社だったのです。

前の年に石油ストーブを輸出しようとしていたのですが
買取価格が暴落してこのまま売ると大赤字になり経営破たんに
なりかねなく泣く泣くせっかく買い取った石油ストーブを
売るに売れず倉庫にしまっておいたと言うことだったのです。

そのストーブが日の目を見る時がきたのです。
朝6時から店の前に大行列ができたのです。
ストーブ1台欲しいや3台ほしいと言うお客さんが
まだ寒い日でしたので、スタッフの一人に順番に
お名前や連絡先をお聞きして今からストーブを掃除して
動作確認します。
お時間1時間程待つかそれとも出直すかして欲しいと伝え
ストーブの予約は今受け付けたので安心してくださいと
伝えました。

この時からです。
ストーブの掃除・動作確認の日々が続いたのです。
朝5時からよる6時まで休む事なくひたすらストーブの
掃除と動作確認に日々・・・・・・

お蔭さまで震災から1週間で200台近いストーブが全て
完売しました。
この震災のお蔭でモコは倒産する事なく生きながらえたと
あの時、震災がなければモコの通帳にお金が数千円だけだったそうです。

お客様には感謝され、私達はお客様に感謝し
あの時、生きることを許されたのだと今も思っています。

あの日を忘れない。

さ~あ、明日は第2回 モコの生前整理セミナーです。
沢山のお客様のこれからの人生のヒントになる様に
務めたいと思います。

それでは^^

へばな~^^


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この記事の担当:花輪 隆俊

戦う特殊清掃士達のブログへようこそ!!
トータルプロデュース モコは青森県、岩手県、秋田県をはじめとする
東北6県において特殊清掃や遺品整理をおこなっています。
故人様やご依頼者様の心情を考えあえて悲惨な現場写真などは
ひかえつつ現代社会の闇と戦う特殊清掃士達の日々の業務を
ご紹介しています。
東北地方でも私共独自の消臭技術で孤独死などで住宅に染みついた
悪臭を完全消臭する技術で東北各地からご依頼を頂いています。
プライバシーを配慮し(故人様)日々の活動をブログで配信しています。
また、お困り事はお気軽にご相談ください。

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