トータルプロデュース モコ ブログ
2019.03.11死にゆく者生かされる者 あれから8年
カテゴリ:日々の出来事
おはようございます。
今朝の青森市の朝の空模様はまだ真っ暗で
分かりませんが時折強い風が吹いています。
今朝がたも強い風の音で目がさめました。
今週いっぱいはまた、冬型のお天気に戻る予報です。
やっと、春が来たと思ったのですがね。
さて、昨日は某街へごみ屋敷清掃のお見積り依頼を
頂きまして行って参りました。
大きなお宅で部屋も6部屋もありその他に2階建ての
倉庫?物置?車庫?が2棟もあり広い敷地で羨ましい
限りの住宅でしたよ。
ここに住まわれていた方は、高齢の男性と言う事でしたが
倒れている所を発見され搬送されましたが治療もむなしく
帰らぬ人となりました。
今回は、この住宅内と2棟の物置?倉庫?と外構に
沢山捨てられてるビンや缶それにカセットボンベや
テレビやパソコンなどの廃家電などを片付けるご依頼です。
ご依頼者様は、亡くなられた男性の子供さん達です。
兄妹力を合わせ一つの事を成す姿は何か羨ましく
思えました。
一通り見させて頂きまして結果待ちです。
そんな中、今朝、日めくりをめくり11日と・・・・
東日本大震災より8年が経つんですね~
早いですね~時が経つのは・・・・
あの日を忘れない。
モコにとってもあの日は忘れられない日です。
モコにとってあの日は生と死の境目でもありました。
まさしく、3.11が無ければモコはあと数日で死にゆく者に
なっていたかも分かりません。
しかし、3.11がおきて大地が揺らぎ大津波が何もかも
飲み込んだせいでモコは行かされる者に変わったのだと
思います。
当時、私達モコは遺品整理業をしながら中古家電の買取業と
リサイクルショップを経営していました。
ショップもつがる市柏に店を構えそれなりにお客さんも入り
繁盛とまでは行きませんが徐々に地元に認知されはじめた
矢先の出来事があの3.11でした。
真冬の売り上げも少なく毎日お店に通うガソリン代も
ことかく始末でした。
それでいてボランティアの除排雪作業ともうあっぷあっぷ
状態と言った方が良い。
今思うとそう思います。
今にきっといいことがあると妻に言い聞かせ
苦しい中、毎日お金にならないボランティアの
除排雪をした事を記憶しています。
もう、数日でモコさんも廃業になる?
と、行った時です。
あの大きなグラグラがおきました。
私と副社長はショップ内の商品棚が倒れ無い様に
必死におさえたのを覚えています。
長い横揺れ、立っていて船酔いと同じ感覚になり
気持ちが悪くなったのも覚えています。
揺れて数十秒後に停電しました。
あ!!
目の前の信号機も消え、私は何事がおきたのか?
外に出ると信号待ちをしていた車が信号が消えたのを
見るなりさ~っと走りだしたのを今でも記憶している。
何か、取り残された様な、変な不安が襲って
来たのもはっきりと覚えています。
店で数十分電気が開通するのを待ったが電気は開通
しませんでした。
携帯のワンセグが使える方がいたので携帯のテレビを
見ると八戸港の津波の映像が映し出されていました。
あの映像を見た時は、映画のワンシーンの様な感覚で
見ていました。
あの映像を見て、あ!!
こうしちゃいられない。
明日は早出して石油スト―ブを分解掃除して陳列して
売るぞ!!
と、なぜかそう思ったのです。
すぐ、電気が開通つれば何の意味がないのに(笑)
電気は2~3日間開通しませんでした。
当時、中古家電の買取をしていましたので
倉庫には石油ストーブが200近く保管していました。
翌朝から、ショップの窓に手書きで石油ストーブあります。
と、張り紙を張ったとたん店の駐車場にお客さんが
わんさか押し寄せて石油ストーブを売らせて頂いた。
朝から晩までストーブを掃除して動作確認をして
安全なストーブだけを毎日何十台と売りました。
1週間で200台近くあったストーブも全て完売。
あの震災で、モコは行かされる者へと変わり今があります。
あの日を忘れない。
さ~あ!!
今朝のブログは少し長くなりましたね。
今日から2日間は、多頭飼育の猫屋敷清掃
あと、2匹のワンちゃんの汚したお部屋の清掃と
消臭作業です。
今週も真っ赤に燃えて頑張って来ます。
へばな~^^